友だちの死から。
2009年 10月 05日
8月、友だちが死んだ。
海で起こったことだ。
それを、また別の友だちからのmailで知った。
さーっと血の気が引いた夜、
家までの帰り道。
高校の部活で、ぼくと彼は先輩と後輩という仲だった。
でも、大好きな音楽を通じて、卒業した後も連絡を取り合った。
遊びの延長で、スタジオに入ったこともあった。
そのとき、彼は歌を歌った。
ぼくは、エレキギターを弾いた(いまとなっては信じられないなぁ)。
バンドは部活のメンツ、顔なじみがそろった。
曲は、いっちょまえにオリジナル・ソング。
たった2曲だった。
なのに、その2曲は上手く思い出せない。
だから、ものすごく愛おしい。
思い出せるのはタイトルだけ。
「ひまわり」という曲だった。
ふたりで、お茶をしたこともあった。
「イベントをしようかと思って。そのときにお誘いさせて下さい。」
と、きらきらした目でコーラを飲みながらぼくに言った。
イベントは、実際に開催された。
忘れもしない、本厚木の「サンダースネーク」というライブハウスだった。
ぼくはピアノマン新沼氏と出演した。
彼が被っていた赤いミッキーのキャップが可愛いかったから、
「その帽子、すごいかわいいね」というと、嬉しそうに「先輩も買って下さいよ」と、
さわやかに言ってくれた。
ぼくは、紺色のミッキーキャップを買った。色違い。
ライブに来てくれたお客さんたちはすごく温かくて、拍手をたくさんくれた。
出たばかりの「帰り道」の音源もたくさん売れた。
彼はバンドで出演、仲間たちとファンキーなライブをしていた。
「また、絶対やりましょうね!」
と、彼は言ってお別れした。
それから、
mailでのやり取りが何度かあった。
ライブにも来てくれようとしてくれた。
「お仕事(プロジェクト)が忙しくて、毎日終電なんです」とメッセージをくれた。
でも、
残念ながら、会うことは叶わなかった。
そして、友だちからmailで悲報を聞き、
高校時代の仲間たちと告別式に向かうことになった。
たくさんの黒い服を着た人たちであふれていた。
きっとたくさんのひとに愛されていたんだと思った。
あまりにもたくさんの人たちがいたから
ちゃんと、お別れが出来なかったような気がする。
それから、何もなかったように時間が過ぎている。
ぼくのケータイ電話には、彼の連絡先がそのまま残っている。
「先輩、元気ですか?」と、
いきなり連絡が来ないだろうか。
連絡が来そうな気がしているのは、自分だけか。
ネットを検索して、彼が事故にあったニュースを見たのに。
それでも、彼のアドレスを消そうなんて思えない。
お別れは、いつも急にやってくるね。
彼の死から、もうすぐ2ヶ月。
ぼくは何か出来ただろうか。
彼は死にたかったわけじゃない。不慮の事故。
彼のためにも、生きている自分は何か頑張っていきたい。
具体的に何かはわからないけれど、
一生懸命に生きていたい。
一生懸命に生きていきたい。
いまも
ミッキーのキャップは、大事に飾ってある。
2009.10.05.
a.m.04:37
神山幸也
海で起こったことだ。
それを、また別の友だちからのmailで知った。
さーっと血の気が引いた夜、
家までの帰り道。
高校の部活で、ぼくと彼は先輩と後輩という仲だった。
でも、大好きな音楽を通じて、卒業した後も連絡を取り合った。
遊びの延長で、スタジオに入ったこともあった。
そのとき、彼は歌を歌った。
ぼくは、エレキギターを弾いた(いまとなっては信じられないなぁ)。
バンドは部活のメンツ、顔なじみがそろった。
曲は、いっちょまえにオリジナル・ソング。
たった2曲だった。
なのに、その2曲は上手く思い出せない。
だから、ものすごく愛おしい。
思い出せるのはタイトルだけ。
「ひまわり」という曲だった。
ふたりで、お茶をしたこともあった。
「イベントをしようかと思って。そのときにお誘いさせて下さい。」
と、きらきらした目でコーラを飲みながらぼくに言った。
イベントは、実際に開催された。
忘れもしない、本厚木の「サンダースネーク」というライブハウスだった。
ぼくはピアノマン新沼氏と出演した。
彼が被っていた赤いミッキーのキャップが可愛いかったから、
「その帽子、すごいかわいいね」というと、嬉しそうに「先輩も買って下さいよ」と、
さわやかに言ってくれた。
ぼくは、紺色のミッキーキャップを買った。色違い。
ライブに来てくれたお客さんたちはすごく温かくて、拍手をたくさんくれた。
出たばかりの「帰り道」の音源もたくさん売れた。
彼はバンドで出演、仲間たちとファンキーなライブをしていた。
「また、絶対やりましょうね!」
と、彼は言ってお別れした。
それから、
mailでのやり取りが何度かあった。
ライブにも来てくれようとしてくれた。
「お仕事(プロジェクト)が忙しくて、毎日終電なんです」とメッセージをくれた。
でも、
残念ながら、会うことは叶わなかった。
そして、友だちからmailで悲報を聞き、
高校時代の仲間たちと告別式に向かうことになった。
たくさんの黒い服を着た人たちであふれていた。
きっとたくさんのひとに愛されていたんだと思った。
あまりにもたくさんの人たちがいたから
ちゃんと、お別れが出来なかったような気がする。
それから、何もなかったように時間が過ぎている。
ぼくのケータイ電話には、彼の連絡先がそのまま残っている。
「先輩、元気ですか?」と、
いきなり連絡が来ないだろうか。
連絡が来そうな気がしているのは、自分だけか。
ネットを検索して、彼が事故にあったニュースを見たのに。
それでも、彼のアドレスを消そうなんて思えない。
お別れは、いつも急にやってくるね。
彼の死から、もうすぐ2ヶ月。
ぼくは何か出来ただろうか。
彼は死にたかったわけじゃない。不慮の事故。
彼のためにも、生きている自分は何か頑張っていきたい。
具体的に何かはわからないけれど、
一生懸命に生きていたい。
一生懸命に生きていきたい。
いまも
ミッキーのキャップは、大事に飾ってある。
2009.10.05.
a.m.04:37
神山幸也
by kamiyama__kouya
| 2009-10-05 04:37
| diary